2013年4月1日月曜日

危機意識とサムソンの話

日本のメーカーがサムソンに遅れをとって以来、多分日本でもサムソンの研究はたくさんされているのだと思うので 今更こんなポストを書いてもしょうがないのかもしれないけれど、せっかくなので書いておく。 

西欧列強がアジアで植民地化を進めていく中、危機意識を感じた日本の先人達は必死で学び、明治維新を行った。
第二次世界大戦を敗戦で終え、焦土と化した日本から、日本の先人達は必死で産業を復興し、世界第二位の経済大国になっていった。 

その後バブルが崩壊したり、GNPでは中国に追い越されたり、メーカーは韓国に追い越されたり、東日本大震災が起きたりと たくさんの「危機意識を感じるべき時期」が来ていたのだけれど、「今のままで大丈夫」と思っている人が多い気がしてならない。 そんなことを思っているさなか、「サムソンがどうやって世界一のメーカーになったのか」 という記事に出会った。

How Samsung Became the World's No. 1 Smartphone Maker 

韓国人の同僚でサムソン出身の人がいるのだけれど、彼が「僕、1999年から2007年までサムソンで働いてたんだけど、 すごく正確で詳細な記事だな。当時を思い出すよ。」と言っているので結構正しいのではないかと思います。

 全訳はしない&粗々訳なので、ぜひ上記リンクから原文をどうぞ。 

==Lee Kun Hee 会長== 

韓国のChangjo Kwanオフィスの人事部にやってくる新入社員は年間5万人。マーケティングの 3P (products, process, and people)やグローバル・マネジメントなどを学んでいく。チームワークや韓国の文化を学ぶための「共同キムチ製作」の教習を受ける人もいる。廊下には、スピーカーから会長のスピーチが流れている。71歳のLee Kun Heeサムソン会長はあまり表には出ないがサムソン社内の活動から外部に向けた戦略まですべて彼が作っているという。「テレビをどうデザインすべきか」からサムソンの企業理念「“perpetual crisis”永遠の危機」に至るまで。 

Lee 会長が実権を握った1987年以来、サムソンの売上は昨年の1790億ドルに至るまで登り続け、売り上げベースでサムソンを世界最大のエレクトロニクス企業へと押しあげた。アップルのSteve Jobs、Sonyの盛田昭夫は有名なのに、Samsung のLee Kun Heeの知名度は非常に低い。そのせいもあって、社外ではサムソンの成功は韓国政府の国策のおかげと思われることが多いが、社内ではLee会長と「Frankfurt Room」の力によるものと理解されている。(ちなみにこの記事の取材も、Lee 会長は断っている。) 

Frankfurt Roomは1990年代のビンテージ装飾や造花が飾られた大きなテーブルがあるだけの単なる部屋に見える。だが、写真は禁止で中で話す時は小声でしゃべることがルール。1993年にこの部屋でLee 会長が部下を集めてサムソン改革の企画を決め、二流のテレビメーカーだったサムソンを世界最大のエレクトロニクス企業に叩き上げていった。大量生産の低品質メーカーから高品質の物を作れるメーカーへ変質する。売上を犠牲にしてでも。だが、その変革を乗り越えた先には、国境を超えた世界市場を取りにいけることをも意味する。


==サムソンの変遷== 
 

サムソンがどれほどテレビや洗濯機のメーカーとして独占的な地位を占めていたとしても、スマホがなければディズニーやトヨタと並ぶプレゼンスを持つことはなかっただろう。アップルほどのブランド力はなくとも、Galaxy は iPhones より売れているし、ニューヨークでの Galaxy S 4 のローンチの際に行列ができるなど、アップルの対抗馬として一定の成功をおさめている。冷蔵庫のメーカーで満足していては、こうした成功はありえなかった。 

サムソンエレクトロニクスはサムソングループの中でも最大の会社で、サムソングループ全体では韓国のGDPの 17 %を占める。80カ国で37万人の社員を抱えるほどのグローバル企業だが、韓国国内でのプレゼンスは「第二の政府」と言われるほど強い。
(サムソングローバルで37万人かぁ〜。。。ちょうど私が入社した頃のNTTグループが30万人だったことを思い出す。NTT自体は19万人ぐらいだった。)

ソウルの市民は Samsung Medical Center で産まれ、サムソンが建築したアパートに住み、ベビーベッドなどの輸入物はサムソン重工製の船で海外から運ばれてきており、 Cheil Worldwideというサムソン資本の広告代理店が作ったサムソン生命保険の広告を見て、Bean Pole というサムソンの服飾部門のブランドが作った服を着て、親戚が遊びに来たらサムソン資本の Shilla hotel に泊り、サムソン資本の The Shilla Duty Free でおみやげを買う。。。といった具合。

先進国ではコングロマリットは何十年もの間敬遠されてきた。Samsung が Gulf + Western, Sunbeam などと異なるのは、極度なまでの集中とオポチュニズム。「サムソンは軍隊のような組織ですよ“Samsung is like a militaristic organization” と National University of Singapore の Chang Sea Jin 教授は語る。「Sony vs. Samsung」の著者だ。CEOが方向性を決め、その通りに遂行する。議論はなし」

 「サムソンで働くのは時計仕掛けのような感じ“Samsung’s like clockwork”」と語るのは Mark Newman。Sanford C. Bernstein のアナリストで、2004 年から 2010年までサムソンのビジネス戦略部で働いていた。「ラインに落ちないと、耐え難いほどの同僚からの圧力がかかります。指示に従えない人は会社にはいられない。」 

サムソンエレクトロニクスが新しい製品カテゴリーに参入する際のやり方を見てみよう。LG や Hyundai のような他の韓国のコングロマリット同様、最初は小さく始める。その産業の鍵となる部品を作る。理想的には、その部品が製造に莫大なコストがかかり、そのコストが参入障壁となって競合が入って来づらくなるような物。マイクロプロセッサーやメモリチップなどは完璧に条件に合う。半導体の製造には20億ドルから30億ドルがかり、インフラを半分だけ作るなんてことはできないので作るか作らないかの選択肢しかない。 インフラが整ってしまえば、サムソンはそれらの部品を他社に販売し始めることができる。それによって、その産業の動き方の見識をサムソンは手に入れることができる。事業を拡大し、部品を供給していた会社と競合すると決めると、工場や技術に多大な投資を行い、それまでに築いてきた足場を活かして、他の会社が対抗できないようなポジションを築いていく。昨年、サムソンエレクトロニクスは215億ドルを資本投資に投下した。これは、同じ時期にアップルが投下した額の倍にあたる。「サムソンはテクノロジーに対して大きく賭ける企業です。彼らは恐ろしいほど研究し、その後そこに財産を賭けるのです」と Newmanは語る。 

1991年、サムソンはLCD パネルを製作し、後に他のテレビメーカーに販売。1994 年には iPod などのスマートフォン用のフラッシュメモリーを製造し、今や LCD テレビのナンバーワンメーカーになり、世界で最も多くフラッシュメモリーや RAM チップを販売している。2012 年には Nokia を抜いて世界最大の携帯電話メーカーとなった。 

サムソンの成功は他社の敗北を意味する。Motorola は分割し、携帯部門はGoogleへ。Nokia はナンバーワンの地位から転落し、Sony-Ericsson の提携は解消された。Palm は Hewlett-Packard に消え、 BlackBerry は24時間監視体制。モバイルハードウェアの世界では、今や Apple と Samsung、そして「その他大勢」しかいない。


==フランクフルト宣言==
 


Lee の父親 Lee Byung Chull がサムソンを創業したのは 1938 年で、父の死に伴い Lee が会長職として跡を継いだのは 1987年。(ちなみに Lee Kun Hee の息子 Lee Jae Yong は現在彼の後継者として副会長に就いている。)Lee Kun Hee のもと、サムソンは急成長し始めた。1988年と1993年の間にサムソンは2.5倍に成長したため、幹部達は成功していると思っていた。ところが Lee は、サムソンを単なる韓国の成功企業で終わらせたくない、2000年までに、世界レベルの企業、 General Electric, Procter & Gamble や IBMなどに並ぶような会社にしたいと考えていた。今のままの成長率では2000年までに世界レベルの企業にすることはできない。 

海外での苦戦を自分の目で見るため、1993年にLeeは世界中を旅することにした。2月に南カリフォルニアの電器店に行って見たものは、Sony や Panasonic のテレビが並んだ店頭で、サムソンのテレビは裏の棚で埃をかぶっている有様だった。6月にはドイツを訪れ、フランクフルトの Falkenstein Grand Kempinski Hotel に数百人にも及ぶサムソンの幹部に集合をかけた。この時彼が行ったスピーチの中で最も有名なのは「妻と子供以外の全てを変えろ“Change everything but your wife and children”」という物で、サムソンの中では知らぬ者はないほど有名な演説だ。
(今や、アメリカのBest Buyなどの電器店の店頭はサムソンだらけ。有言実行すごい。) 

このイベントは「フランクフルト宣言」と呼ばれ、新しい経営方針についてのコンテンツは 200 ページの書籍にまとめられ、全サムソン社員に配られた。また、後にこの本で使われた用語を解説するための用語集も作られた。書籍を読めないレベルの識字率の社員のために、漫画版も作られた。Lee 会長は世界中を周り、サムソン帝国の隅々まで自分の声を伝えた。彼が行ったレクチャーは350時間を超え、それらの書き起こしは 8,500 ページに渡る。 

こうしたわけで、Yongin の HRDC には神聖な Frankfurt Room があるのだ。椅子やくすんだピンクのテーブルクロス、ベニスの絵画に至るまで、全て Lee がフランクフルト宣言を行った Kempinski ホテルにあった物をそのまま持ってきている。サムソンがそれらの家具を全て韓国に輸送し、完璧に部屋を再現したのだという。
(すごいな。。。宗教みたい) 

新しい経営方針は、いくつかのスローガンにまとめられた。「個人の育成 “Fostering the individual”」や「変化は自分から始まる “change begins with me”」、そして「品質管理 “quality management”」など。これらはサムソンのもう一つの聖地 Gumi complex に掲げられている。Gumi はソウルの 150 マイル南に位置し、サムソンのスマートフォン製造工場がある場所だ。サムソンが最初の携帯電話 SH-100 を作ったのもここだった。 

==Gumiのスマホ工場==
 


Gumi では K-pop がどこにいても聞こえてくる。この音楽は心理学者によって選ばれた、社員のストレスを減らすための音楽だという。Gumi には1万人を超える社員が働いており、その多くが20代前半の女性。団体行動が多く、いつも携帯を使っている。ピンクやブルーのジャケットを着た社員たちのうち、独身の人はダイニングやフィットネスセンター、図書館、コーヒーバーなどが完備された寮に住んでいる。 

Gumi は驚くほど暖かくて湿度が高い。工場はサムソンのグローバルなネットワークの一部で、2012年には4億台の電話を製造した。一秒に12台の計算だ。Gumi で働く労働者達は組立ラインには入らず、製造は従業員が3方を囲むワークベンチの中に立ち、必要なツールや部品は全て手を伸ばせば届くセル毎に行われている。従業員は携帯の組立全てに責任を持つ。組立工場内のあちこちに設置されたコンピュータで世界中のサムソンの施設の製造情報をリアルタイムに取り出すことができる。 

ある部屋は、品質テストのための機器で埋め尽くされている。その部屋には多くの機械の上で小さなプラスチックのプロペラが回っている。どのマシンが動いているのか、遠くからは判断がつきにくかったので、社員のアイディアでこうしたプロペラをつけて、判別することにしたという。サムソンの社員には、こうしたアイディアを提案すれば、削減されたコストが計算され、一定の割合で社員にボーナスとして還元される。 

こうした効率化やクオリティは、常にプライオリティを置かれていたわけではない。1995年、Lee会長は自分が新年にプレゼントした携帯電話に不具合があったと聞いて驚き、自ら部下たちを率いてGumi工場の外で15万台のデバイスの組立を指揮した。2,000 人以上のスタッフが機器の山を囲み、それらの機器は火にくべられた。炎が消えると、今度はブルドーザーが残骸を粉々に砕いた。「こんな低品質の製品を作り続けたらまた同じことをやってやる」と Lee 会長は言った。
(すご。。。なお、今でこそ日本は高品質で有名だけど、戦後の日本も欠陥商品多くて、日本ブランドを作るために先人達は頑張ってたんですよね。。。) 

この教訓は根付いた。2012年5月に新しい Galaxy S III を出荷した3週間後、ある顧客がカバーが以前見たデモモデルよりも安っぽいとクレームを入れた。サムソンモバイルのマーケティングチーフ DJ Leeは「たしかに、後のモデルは肌理が細かくない。」と認めた。デザインのよくないカバーは倉庫に10万個、更に輸出用の組立済のデバイスが空港に届いていたが、全て回収され、新しいカバーと取り替えられた。
 


==サムソンの成功要因== 


1995年の「電話焼却大事件 (Great Phone Incineration)」以降、2つの要素がサムソンのスマホでの成功を推進した。一つは2009年にAndroidに賭けたこと。サムソンの最初の Android 端末は Galaxy と呼ばれた。DJ Lee は「 最初の Android は成功とは言えませんでした」と語る。App store は限定的で、Android 自体黎明期だったし、iOS に大きく水をあけられていた。ただし、Android はオープンソースだったため、どのメーカーでも無料で使うことができた。 

2010年、サムソンはGalaxy S シリーズを発売。大きなスクリーンを使う、という2つ目の重大な決断を実行していた。Galaxy Sのスクリーンは初代 Galaxy や他の Android モデルと比べて遥かに大きかった。「4インチスクリーンにしたのですが、多くの人が大きすぎると考えたようです。」と DJ Lee は当時を振り返る。多くの議論があったが、結果的には大きなスクリーンがセールスポイントになった。Galaxy S II や S III では更にスクリーンを大きくした。今や、サムソンのスマホは2.8インチから5インチに渡る。(“phablets” は 5.5インチ)「誰も正しいスクリーンサイズがどれかなんてわかっていなかった。だからサムソンは全部作って、どれが一番いいのかを試したんです」と Enders Analysis のリサーチャー Benedict Evans は解説する。 

似たようなデバイスを色々なサイズで作り、どれが一番よく売れるか見る。。。というのは非常にコストがかかることで、ほとんどの会社はやらない。だが、サムソンはディスプレイ、メモリ、プロセッサーや他のハイテクパーツを自社製造することができるため競合他社では成し得ない柔軟な対応ができた。「10年前は垂直統合は時代遅れというのが正統派だと思われていたけれど、結局それを真剣にやってきたサムソンとアップルが携帯産業を席巻した」と語るのは Alekstra のアナリスト Tero Kuittinen。 

アップルのとったアプローチは少ないモデル数でそれぞれを美しくデザインすること。サムソンは、全部をすごいスピードで試すこと。「Galaxy S III を発売した時、我々の研究では一部の市場の一部の人達はこの携帯は大きすぎるとわかっていました。そこで、同じ電話を4インチのスクリーンで作り、 Galaxy S III mini として発売しました。」デバイスを小さくするのには、4−6ヶ月ほどかかった。「市場を見つめ、すぐに反応するのがサムソンです。」とDJは語る。新しい Galaxy S 4 の発売は、GS3 のわずか9ヶ月後に発売。「サムソンは差別化を新しいアートにした」と Gartner のアナリストMichael Gartenbergは言う。「iPad と iPad mini の間の商品が欲しいと思ったら、それはアップルでは買えないでしょう。」 

アップルの垂直統合には、サムソンにはない物が一つある。ソフトウェアの管理だ。アップルのスマートフォンやタブレットだけが iOS で動かすことができ、iPhone や iPad の長所の一つはソフトとハードのスムーズな連携だ。そしてアプリ製作者がアプリを作り、アップルはアプリが売られるたびに取り分を得る。 

そこでサムソンはソフトウェア開発センターをシリコンバレーに作り、地位を確立しようとしている。アップルのようなOS管理はしないかもしれない。だが、サムソンは、製造を通した深い見識と柔軟性を使い、力をつけている。プロセッサー、メモリチップ、カメラなどは自社のスマホだけではなく iPhone 5 のマイクロプロセッサーも含めた他社製品も製造している。部品ビジネスと端末ビジネスの間は情報が遮断されているとサムソンはしている。新しい技術を開発するのには時間がかかるもので、特にその技術が大規模な物であればなおさらだ。サプライチェーンの初期のインサイトが得られるというのは重要で、3年先まで見ることが出来るようになる。これはサムソンの顧客にとっては痛い問題だ。アップルはサムソンを世界中で特許侵害で訴えているが、その訴訟内容は電話の単純な形状からユーザーが一番下までスクロールした時にスクリーンがどう戻ってくるかまで、多岐に渡る。サムソンは容疑を否認し、反訴しており、訴訟合戦は終わりが見えない。アップルは8月に勝訴し、陪審員は10億ドルの支払いを命じたがこの裁判は上告されて最近その金額は半分となった。 

しかしどれだけ裁判が行われようと、サムソンが法を犯さずともサプライヤーに対して優位に立てるのは間違いない。製造メーカーである顧客がサムソンに対してプロセッサーの製造を依頼したとすると、その情報自体に価値がある。「アップルなどのロードマップを入手し、競合が何をしようとしているのかというのは極めて使える情報なんですよ。コピーしてるんじゃないんです。違法でもない。ただ、2013年にアップルがクアッドコアプロセッサーが必要な何かを作ろうとしていると知っている。それだけでいい。」とBernsteinの Newmanは語る。
 


Galaxy S 4 が3月中旬に公開されるにあたり、サムソンは Radio City Music Hall を木曜の夜に借り切った。テレビの中継車が周囲に停まり、人々が行列を作り、ロビーは人でごった返した。俳優 Will Chase がMCを行い、俳優たちのシュールなスケッチが一般客風に Galaxy S 4 の機能を使っている様子が映し出され、学校やパリ、ブラジルなどのセットがステージから出てくる。オーケストラがリフトで登ってきて少年がタップダンスを行う。「サムソンは全ての端末を全ての市場に向けて、どんなサイズでもどんな価格でも提供していきます。考えることをやめません。彼らはただ電話を作り続けているのです」とEvans。

 Galaxy S 4 は4月後半まで発売されない。速くて大きくて明るいスクリーンがあり、恐らくサムソンにとってまた大きなヒット商品になるだろう。ただ、サムソンの将来について Lee Keon Hyok は全く勝ち誇ったところはない。こんなことは過去に見てきたことだ。そして今日の成功で喜びを感じてしまっては、「新しい経営方針 (principles of New Management)」に反する。「2010年はグループ全体にとってめざましい年でしたが、会長の反応は『我々の主要事業は10年後にはなくなっているかもしれないんだぞ』でした。」 

サムソンは大きくなりすぎて韓国政府の査察を受けることになるかもしれない。iPhone 6, 7, 8 があまりに美しく素晴らしい端末で会長すら対抗できないかもしれない。もっとありそうなシナリオは、中国あたりの競合が、サムソンが競合に対してやってきたのと同じ戦略でくるかもしれない。「中国は韓国の5年前を見ているようです。」とモバイルアナリストのHorace Dediuは言う。特にHuawei や ZTE は目に見える脅威だとし、他のアナリストは Lenovo だという。「サムソンはアップルよりスマホあたりの利益が少ないけれど、中国企業はもっと少ないですからね。スマホがコモディティ化したら、サムソンはどうやって生き残るんでしょう。」 

Lee Keon Hyok は既にスマホはコモディティ化すると予想しているーパソコンが1990年台にコモディティ化したように。「ただ、我々がたくさんのパーツを作っているというのは忘れてはならない。形は変わるかもしれないけれど、電話機は AMOLED ディスプレイを必要とし続けるし、メモリやプロセッサーも必要だ。こうした変化は我々は見越している。」AMOLED とは active-matrix organic light-emitting diodes のこと。最新テクノロジーで、ディスプレイ技術で恐らく唯一K-pop の歌が作られている技術だ。(Amoled という歌が 2009 年に Son Dam-bi と After School によって作られている) 

モバイルビジネスが収益を上げにくくなった時、サムソンは他の産業に参入するだろう。その産業は、たくさんの初期投資を必要とし、大量生産のノウハウを必要とするだろう。2011 年にサムソンは 2020 年までに 200億ドルを 投資して、医療機器、ソーラーパネル、LED、バイオテクノロジー、電気自動車向けのバッテリーの研究などを行うと発表。もしサムソンのバッテリーや MRI の機器が市場を席巻しなかったら、会長はまたそれらを大量に火にくべるのかもしれない。「会長はいつも永遠の危機なんだ‘This is perpetual crisis’と仰ってます」とモバイルマーケティングチーフの DJ Leeは語る。「我々は危険な状態だ。危機的なんだ、と “We are in danger. We are in jeopardy.”

 。。。翻訳ここまで。

危機意識が人を駆り立て、ものすごい力を発揮するというのはわかる。ただ、危機意識を煽り続けると人は疲弊してしまう。 

以前、まだ韓国にDeveloper Relations がいなかった頃、韓国での Android Developer Lab というイベントを主催したことがある。その時手伝ってくれたボランティアメンバーの中にサムソンの社員がいた。話を聞くと、やはり労働時間がハンパない。子供が産まれたが、子供の顔が見られる時間に家にいない。「ここはいいから、うちに帰ってお子さんの顔を見てください」と伝えた。 

日本は昔、欧米に追いつけ追い越せでがむしゃらにやってきて、世界二位の経済大国になって目標を失って失速してしまったのだろうか。韓国は日本に追いつけ追い越せでがむしゃらにやってきて、そしてきっと今は「日本のようにはなるまい」と思っているのだろうか。日本人が危機意識を取り戻すにはどうしたらよいのだろうか。危機意識を長期間持ち続けるのは持続可能性があるのだろうか。危機意識とバランス感覚はどう保てばよいのだろうか。モーレツ過ぎず。歯車でなく。個性を活かし、よさを活かし、議論も尊重しながら成長するには。

 色々考えさせられるサムソンの記事でした。

ちなみに Google で働いている日本人で、Google で体感して身につけた Google の成長や成功のナレッジを日本企業で活かそうと転職している人もいます。最近は超ドメスティックな日本企業に転職していった人も。話を聞いてみたら、「日本企業はこのままだと沈没してしまう。Google で学んだあれこれを、日本企業で活かし、日本の再生を助けたいんだ」と言われてちょっと感動してしまいました。

ところで最近英語ブログの方で書いたのが Dave McLure の「日本人よ、目を覚ませ!Wake up Japan!」という記事。「失敗は問題ではなく成功へのプロセスで、必要な物なんだよ!」「日本人、わかってる?今あなた達の国は相当ピンチだよ。頑張らないと!」と相変わらずの Dave節で日本人を鼓舞してくれました。

ブログ:"Wake up Japan!" says Dave McLure

動画(日本語字幕つき)



スライド


Hack Osaka: Innovation Strategies for Regional Startup Ecosystems from Dave McClure


3/31追記

ちなみに韓国マンセー、サムソンマンセーというつもりはなく、色々な国、色々な事例、色々な成功と色々な失敗から学べばいいと思っているだけです。

記事の中では触れられていなかったけど、コメントでサムソンの成功の原動力はウォン安だろうという指摘を頂きました。たしかに。。。というわけで追記しておきます。

で、3月末現在は上がっています。
Korean Won Rises as Current-Account Surplus Widens; Bonds Gain
「韓国の強さは本物か・ウォン安是正進んでも サムスン株は崩れない」との話も。
あと、3/28に行われたこれも。シャープ、サムスン電子日本法人から103億円の払い込み完了

Disclaimer このブログは山崎富美の個人的なものです。ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はありません。