2012年4月7日土曜日

「復興支援検証会議」をまとめ直してみた #magokoronet

「復興支援検証会議〜いま改めて、『支援』の原点を見つめ直す」という会議があり、(私は残念ながら参加できなかったのですが)色々まとめがあがっています。

復興支援検証会議サイトTogetter
UST 第一部UST 第二部UST 第三部UST 第四部UST タマルさんのLive

ただ、これを全部視聴して読むのは多くの人にとって難しいと思うので、今後のラーニングにつながりそうなポイントをまとめてみました。

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「NPO・ボランティアの役割とその検証」
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Q: 当初「被災地にむやみに入ったら迷惑になる」という意見が多かった。それについてはどう思うか。

誰にとって迷惑なのか。問題はそこ。迷惑する、ということを社協やボラセンが言い出すようでは問題で、被災者にとってどうかを考えなくてはいけない。

とはいえ、受け入れ側も被災者で、社協でも多くの人が亡くなっていた苛酷な状況だった。そもそも社協のボラセン担当は1~2人程度で、そこに大勢の人がくる。そういう前提の準備がなかった。被災地にボランティアが押し寄せるという前提を作らなければいけない。今回は、迷惑でも、迷惑だと声を出せない人がたくさんいた。ボラセンをどううまく運営するかが課題。

それでも社協が受け入れをやらなければいけない理由は、社協は地域福祉の役割を持っているから。外部の人はいずれ手を引いていく。地域の人が日常を取り戻すために、社協が中心にならなければならない。今回は「正規軍が動けないからゲリラががんばる」という状況で乗り越えた。


ボランティアはお客様ではない。「ボランティアは、自己完結」。来てくれた人たちでつながる。垣根を作るのではなく、お互いに許し合うという精神でやる。

※「感謝です、迷惑なんてとんでもない 」という声もある。次に備えるためには、全国の社協が今から「被災地にボランティアが押し寄せるという前提」を想定し、早期に受け入れ態勢を整えられるよう、東北での教訓を広げておきたいですね。

Q: 現地にリーダーがいるかいないかが大きかったのでは。

A: 七里浜では、来てくれた人に、「あなたが中心になるんだ」ということを必ず説明し、それで達成感を持ってもらったのが、次につながった。

石巻は、最初に「助けて」と大きく声を上げたので支援が集まったが、逆に船頭が多くなりすぎたという問題もあり、簡単ではない。(報道されないところは支援されない、という問題も)


混乱はあって当たり前「平等なんて難しい」と考えたところは前に進み、「管理しよう」としたところは、あまり動かなかった。差があって当然なので、公平性、平等性にこだわらない。


上下関係をつくらないという点だけは心がけていた。スタッフには、活躍できなくてもいいから、つないでいって欲しいと伝えた。

●色々な団体に、今何が一番必要かということを聞かれたが、必要なものはひとつではないし、今日と明日でも違う。一言では言えない。半日同じ場所でみてもらって、その目で見て必要だと思ったものを外に伝えて欲しいと伝えた自分達がそれを整理して発信する余裕はないので、そこを手伝ってほしいとお願いした。

平常時からのイメージトレーニングが重要。静岡は、「東海地震が起きる」と言われて35年たち、災害に対する意識は高い。地震が起きたら、市町村のボランティアセンターを立ち上げ、周辺を巻き込んでいく。。。という流れを、7年位検証し、内閣府とも関わりながら取り組んでいた。釜石では、子供の頃から津波から逃げる訓練を徹底的にやっていた。風化は当事者ではないと思っているから起きる。自分のことだと思ってやっていれば、忘れないのでは。

●支援者側は自己満足になりがち。ボランティアする側は常に自己満足になってないかを考える必要がある。中には支援でなく指導や指示をしているボランティアもいて、それでは地元の人達は傷つく。安心を与える存在にならなければ。

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「変化する現地・現在の課題とアクター」
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雇用が全然ない。企業も撤退しており、人々は働く場所を求めている。国の予算に問題があり、国の支援が足りていない部分の支援が必要。どこが足りていないのかを集中して点検し、情報発信をすることが重要になる。上物や形あるものしか予算は来てない。建物がたっても雇用にはならない。

●311以降、大学生の力は大きなものだと感じている。2008年に中越沖地震から戻った学生たちが地域支援できないかと、学内にボラセンを立ち上げ、学内ボランティアを育てる努力をしていた。阪神、中越の経験で、支援する側に何が必要かがわかっていた。フットワークの軽さや、長期休暇があることが学生の強み。また、学生という肩書き自体が、地域の人からすると警戒心を薄めてくれる効果がある。弱みとしては、思いはあるけれど、資金などのリソースが足りないこと。それを補ってあげればいい働きをしてくれる。

当時、参加したい学生は多かったと思われるが、大学側が責任が取れないので自粛させていた。思いはあっても、止められていた人もいるのではないか。岩手大の場合、実際のボラセンの活動は大学組織とは独立した形になっている。

今後は、大学がいかに地域に対して力を発揮できるかが重要。学生ボランティアが来たとき、はじめは浮かれた気持ちがあったが、避難所は遺体安置所に視察しに行ってもらったところ目つきが変わった。若い人たちに現実を見てもらうことも大事だと思った。

●霞ヶ関は、地域の民意をまとめていたら時間がかかるから、地域の行政と話をしてまとめようとしている。しかし、地域の人をサポートする体制を作らないと、霞が関の空回りで地域のニーズとの乖離が広がるばかり。いくらお金を使っても意味がない。

野田首相は「これからは地域が主体だ」と言うが、やっていることは全然違う。地域から検証し直さないと、仕組みは変わらないだろう。自分たちのまちづくりは自分たちに任せて欲しい、という思いがある。地方から日本全体を変える・動かすために皆さんと一緒に考えていきたい


お互いが承認して分かち合うことが大事で、そういう文化が広まっていけば役場と現場とか上とか下とかは関係ないと思う。個人情報だ資格だ役職の責任だと色々あるが、こういう災害の場合、「人間としての資質」の方がずっと大事。今何が必要なのか、それを人間として判断できるようにしなければいけない。個人情報保護法も担当者の主観ではなく、今どうしなければならないのかを考えて判断すべきだ。

●福島県浪江町の実態。福島は、大きく状況が違っている。地震のとき、原発が危ないなどとは少しも思っていなかった。放射能の知識もなかった。安全だと思っていた。津波しか頭になかった。

あの日は怪我をした母親のため、病院探しに奔走していた。翌日やっと病院を見つけて、その次の日に避難警報が出た。しかし情報が全くない。どこに逃げたらいいかもの情報もこなかった。それで山の中ならと思い津島に逃げ、そこに3、4日避難していた。しかし実はそこが一番放射線量が高かった情報が入らないときにどう行動するか、それを今からちゃんとやっていかなければならない。

●社協でも役場でもいいので、現地を知っている人が予算を使えるような状態にしないといけない。被災地ではどこでも、農地を片付けようとすると、査定が終わってないので手を付けるなと行政から言われる。「自分たちでやれることはやらせて欲しい」これが実現しないと何も変わらない。行政は問題を問題だと把握していない通常の問題解決をしないと、何も先に進まない。行政で「区分け」をしていてはいけない。雇用の創出を目的に県の事業で「絆プロジェクト」ということをやっていて、成果も出してきたが、昨年は予算を減らされてしまった。現場と役所との意識のギャップを感じる。

災害ボランティアは被災者のためにあるもの。被災地=ボランティアセンター=社協というイメージが強くなってきており、「そのような組織がなければ支援ができない」という風潮を感じるが、最後は地元の人たちが身近な人を支える構造でなければならない。社協の役割はそこにある。社協と行政・住民の関係性をここで再度考え直しておくべき。

●東日本大震災のことだけでなく阪神や中越のことも合わせた検証が必要。安否確認を使えた人は少なく、携帯も使えなかった。今回の教訓を普遍化し、教訓を実際の訓練にし、被災地外でロールプレイを実施すべきだろう。

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「企業の役割、新たなるアクターとボランティアの連携」
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味の素によるCSRへの取り組み。食品会社なので、食で貢献。仮設にお住まいの方が自立するためのほんの一助として調味料を配った。仮設・在宅で支援に格差があり、クレームが役所にくるため、配布を断られたこともあった。健康応援セミナーの開催。事前に社協や地元から聞きメニューを決定。郷土料理を作ることになった。男性にも来てほしいので、魚のさばき方が上手な地元男性に先生になってもらった。あくまで主役は地元の人

●セブンイレブンは、本社が神戸・三宮。阪神・淡路大震災の教訓から災害時協定を行政と結んでいたため、スムーズに支援ができ、トラブルは少なかった。震災発生時には、個人の裁量で地域の店を開けるかどうか判断させた。判断できない場合は地域のスーパーバイザーに連絡。

●3月下旬から Yahoo や Nifty など、普段ライバル同士のポータルサイトでボランティア募集を行い、貢献している。情報のデータベースは一つ。各社でそれぞれデータベースを作るのは無駄なので一元化した。使いたいところにはこのデータベースの使用を認めている。

●Yahooの取り組み。「有事には別のオペレーションでないと動かない」ということを一人一人が気づくということが重要。普段は間違った情報を送ってはいけないということに大変気を使っているが、有事には多少間違っても大勢が必要とされているものなら発信していった。社員が手分けして各ガソリンスタンドに電話をかけて供給可能量を調べたり、出版社と話をつけて週刊少年ジャンプを配ったりした。安否確認情報は、発信までに1ヶ月かかった。すぐに発信し、各自治体の発信情報を横断的に見られるようにしたかったのだが、避難所毎に名簿フォーマットが違うため、遅れた。名簿フォーマットを統一するよう霞ヶ関に要請したら、業界団体を結成してから要望を出せと言われた

●ヤマトホールディングスの取り組み。荷物一つにつき10円寄付、昨年13億個取り扱い。計140億の寄付という莫大な支援金に株主から苦情が?という心配もあったがトップの「絶対にやるんだ!」という強い気持ちに社員も引っ張られる。結果、売上げが向上株主からも反対はなく、賛同してくれた。

釜石ヒカリフーズの取り組み。震災にあった水産加工会社はみんな撤退した。自らも山田町で被災し、三陸から撤退しようと思ったときに、地元の水産関係の方々から、新会社を設立してくれと言われた。生活の基盤となるべき、水産加工の場を作っていくことが大切と考え、昨年8月に釜石ヒカリフーズを設立、正社員20名を雇用する。現時点の企業補助は被災事業のみで、新規事業には行政からの補助は出ない。しかし、最初から正規雇用でやった。先がわからない状態の雇用で働きたいという人はいないから。先週、釜石市からの助成を受けられるようになった。

●ひろの屋の下苧坪さんは、起業したところで被災、ここで止めようかと思ったが、生まれた土地への恩返しと思って続けている。雇用に依存しない生き方が重要。起業して地域で生活するのは面白い。物産展等で三陸は元気だということを真剣に伝えてきた。風評被害でいくつも契約解除されたが、起業にもっと重点を置き、地域で起業する人がもっと出てきたら復興が加速するのではないか。

おらが大槌夢広場の取り組み。構成メンバーは、元々は普通の会社員や商店の人が中心。ノウハウも何もないので、雇用創出支援で補助をもらって雇用を作ったが、いつ切れるかという不安もついてまわる。その中で復興食堂など動き始めている部分もあり、そういう部分はいずれは独立させていきたい。起業家精神を持ち、新しいことにチャレンジしていかなければやっていけない。

●震災時に企業としてどれだけ支援できるか。企業の社会貢献が、投資して回収しているように見えるフェーズが来るだろう。ゼンリンに就職した新入社員は3ヶ月の研修後、東北の被災地地図を作るとのこと。

●企業内の人間が自発的に行動し、それを企業は推奨し表彰するという仕組みを確立させていくことがこれから必要。社会貢献をすることで社員が自社をもっと好きになり、仕事のモチベーションが上がる図式が作れないか。

●支援に参加した企業にも、メリットがあってよい。被災地での活動は次のビジネスへの展開につながりうる。それを東京の社員がやれば投資回収になるが、一時的にでも地元の人を雇ってやってくれれば、それが支援になる。

●長期で入れる人材をもっと送り込めないかな、とみんなが口をそろえて言う。もしここで人を送ってひとつのネットワークができれば、他の地域での災害でも、それが生きるかもしれない。

●フェーズが復興に移って難しい問題がいろいろ出てきた。どう地元の人が地元の資源を使って立ち上がっていくか。色々な問題があるが、それを解決するリソースが地元に足りない。東京は東京で、リソースを持っているけれども生かせていない。彼らを被災地に向かわせようとしても、間でうまくつなげるコーディネートのリソースがない

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徹底討論『我々の意識は変わったのか』
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●被災された方にボランティアが必要だから、災害ボラセンができた。だが、災害ボラセンの型が固定されているため、活動範囲が狭まっている。狭められた結果、支援の対象から漏れた人が多くいるはず。例えば水産支援ボラセンがあったら、そこでボランティアの力を借りて支援することができたはず。社協は元の仕事に戻っていくと思われ、今後、漁業関係者支援などを続けてくれるのかどうか。まだ気持ちを通わせるまでいけていないので、これからうまくコミュニケーションしていきたい。

想像を超えた事態が発生した時に組織は機能しない。ボランティア=社協まかせではなく、それぞれの個人や企業がボラセンを立ち上げ、それを横に繋げる新しいデザインが必要なのではないか。この災害がスタンダードではない。災害は一つとして同じ災害はない。常にどうすれば被災者の助けになるかが災害ボランティアへの入口となる。

●ボランティアという言葉で全てが表現されてしまうことに違和感がある。必要な支援は何か。状況に応じて判断しなければいけない。大人数で瓦礫を撤去する段階はある程度過ぎたが、今はコミュニティ内で声を掛けあうような活動が大事。これも立派なボランティアなはず。生活に寄り添う日常の支援や気にかけ合い、まずはそこから。

様々な技術・能力を持った人が能力を発揮できる仕組みが大事。プロボノのようなコーディネートのスタイルはこれからの形といえるのかなと思う。もっとも、仕組みそのものはまごころネットがやってきたこと。それを新しい事業としてやるにはまた大きなパワーが必要だろう。

●ボラセンには、全国から様々な専門家が来る。繰り返し来てお話をすることで、専門分野が分かり、専門分野で力を発揮してもらうことがある。それぞれの専門性を起業に結び付けられる可能性もある。それだけでも、ボラセンの価値は高い。そして、そのマッチングは重要。 海外支援の経験からすると日本では各団体間を結びつける事務能力にたけたコーディネーターがいない印象。→ほかの国でできていたことが今回日本でできなかったことがあることは事実だが、逆に今後海外で起こる災害に対して今回の東日本の知見を活かす機会があるはず。


垣根を取っ払うことは基本。例えば福島の特産物を岩手で作るとか、全国の休耕地に移住してもらい、そこで作物を生産してもらうとか。それによって福島の作物を残すことはできないか?地域や組織を超えた日本全国が一つになった取組みが大事なのでは。


●ここには、色々な能力が集まっている。この機会に何かのひとつのプラットフォームを作って、時系列で問題を集約して、検証して、みんなで考える。次に何を提案すべきかを、やっていこう。震災前からあった問題、震災後の新たな問題。それぞれの問題が幾重にも重なって複雑化しているがなんとかこれを叡智でもって解決していく必要がある。

Disclaimer このブログは山崎富美の個人的なものです。ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はありません。