2012年4月15日日曜日

軍艦島に行って来ました

先日、軍艦島に行って来ました。 

軍艦島は、長崎港から南西に約19kmの沖合に位置し、南北に約 480m、東西に約 160m、周囲約 1,200m、面積約 63,000平方メートルという小さな海底炭鉱の島です。正式名称は「端島(はしま)」ですが、外観が軍艦「土佐」に似ていることから、軍艦島と呼ばれています。

1870年に軍艦島で石炭が発見され、1887年に炭鉱の開鉱、1890年に三菱の経営になり、本格的に操業が開始されました。端島炭鉱は良質な強粘炭が採れ、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つとされ、1941年には年間出炭最高記録41万1,100トンを達成しています。

480m x 160m という非常に小さな島であるにも関わらず、人口が1960年の最盛期には5,267人を数え、人口密度は83,600 人/km2と世界一を誇り、当時の東京都の9倍以上となりました。1916年に日本初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が作られたのには、そういう背景があります。日本初の屋上菜園も軍艦島。地上には木を育てる場所がなかったため、アパートの屋上に土を運び、花や野菜を育てたそうです。

炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗・病院・寺院「泉福寺」(禅寺だがすべての宗派を扱っていた)・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)「白水苑」などがあり、島内にほぼ完結した都市機能がありました。ただし、火葬場と墓地、十分な広さと設備のある公園は島内になく、中ノ島という別の島に建設されていました。

作業環境は過酷。亡くなられた方もおられるようですが、亡くなる・死ぬという言い方ではなく、「自分の足で帰ってこられない方」という言い方をされてました。そんなガイドさんはこの軍艦島に住み、軍艦島の炭鉱で働いていた方でした。軍艦島の炭鉱の勾配はきつく、最近はチリで炭鉱の事故が起きたりしていますが、あれより勾配がきつかったそうで、初めて降りるときはとても怖かったそうです。気温 30度、湿度95%という悪条件でガス爆発などの危険とも隣り合わせで、鉱内での挨拶は「ご安全に」。現在、福島原発での挨拶も「ご安全に」だそうですね。。。

原発収束作業の現場から ある運動家の報告

1974年1月15日に閉山し、4月20日までに全て島を離れ、無人島になったのですが、現在は一部の「見学施設」のみですが、見学することができるようになっています。思い立った日が吉日!ということで、さくっと行動。

私は「軍艦島コンシェルジュ」というツアー会社さんで予約しました。私のツアーを担当してくださったガイドさんは軍艦島に住み、軍艦島で働いていた友次さんという方で、非常にお話が面白かったです。若かりし頃、ここに住んでいた頃の写真とかも見せてくださいました。なお、ツアー会社さんはほかにもいっぱいあるようなので、末尾に掲載しておきます。午前と午後の2便出ていて、私は午前便にしました。

朝、事務所に集合してビデオを見てお話を伺います。事務所内には軍艦島の模型や写真が展示されています。

軍艦島

船へ移動。

軍艦島

軍艦島

移動中も、三菱の造船所などが見え、長崎の歴史やグラバーさんのお話、三菱のお話など伺うことができました。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

さてさて、軍艦島が見えてきました。まずは一周、ぐるりと回って頂きました。

軍艦島

右奥の低い建物が病院、真ん中が小中学校(4階までが小学生、で、左手前が体育館だったところ。奥に見えている高い建物は鉱員住宅。建物がみっちり詰まっているのがよくわかります。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

回りこんできました。左の白い建物がさっきの小中学校で、真ん中が鉱員住宅、右奥が病院。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

島の反対側に回りこんできてます。これから鉱員住宅が並びます。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

さて、船は一旦島を離れて、「一番軍艦っぽく見えるスポット」へ移動 :)

軍艦島

軍艦島

いよいよ上陸!ドルフィン桟橋から見学通路へ。

真ん中に見えている柱のような物は、貯炭ベルトコンベアーの支柱。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

遠くに見えている低い建物は、先程海上から見た体育館(屋根が針金だけ残っている)

軍艦島

ブロアー機室。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

この先の部分のパノラマ写真。左〜真ん中の赤レンガの建物が総合事務所。右側が第二堅坑坑口桟橋。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

第二堅坑坑口桟橋の跡。この階段の先に第二堅坑があります。ここから炭坑に降りる坑道の傾斜が激しくて、初めて降りる時はとても怖かったそうです。下に降りると一日終わるまで上がってこれないので、お手洗いも下でせざるを得ない。それを海に流すのですが、なかなか溶けずプカプカ浮くらしい。島の周りは水泳禁止だったのですが、夏はあまりに暑くてわんぱく坊主たちが海に飛び込んでしまったりしたらしい。なんとも。。。(><)

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

鉱山の中心だった、レンガ造りの総合事務所。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

色々な物が朽ちて、むき出しになって、錆びています。軍艦島が閉山したのは 1974 年ですから、たった40年前。40年放置されると、こうやって朽ちていくのだな。。。と思いました。

軍艦島

軍艦島

修理工場

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

プールの跡。

軍艦島

見えてきたのが有名な30号棟アパート、日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパートです。ガイドさんはここの4階に住んでいたそうです。

軍艦島

軍艦島

パノラマ。左から31号棟、30号棟、下請け住宅。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

屋根の上には鳥がいっぱい。。。

軍艦島

左奥に見えるのが31号棟アパートで、1階には郵便局、理髪店、地下には共同浴場もあったそうです。

軍艦島

ツアーでは、当時の写真を見せてくださったり、当時の様子を語ってくださったりしました。下記は屋上菜園の様子。ガイドさんは若い頃はモテたそうなのですが、これだけ密集しているとデートをする場所もないので、どこでデートをしていても悪ガキに見つかってしまい、ヒューヒュー言われてしまったそうな。

軍艦島

軍艦島は常に高波の被害を受けており、台風の時はすごい大波に襲われていたそうなのですが、すっかり慣れっこになって大波見物をのんきにしていたそうです。こんな感じで、当時の色々な写真を見せながら解説が進みます。

軍艦島

軍艦島

見学コースはここまで。船に戻り始めます。

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

軍艦島

動画もまとめてみました。



軍艦島を後にしました。帰りの船の中でも、閉山になった後のこととかも炭坑で働いていた人の立場で語って下さいました。三菱は、事故が起きて撤退するのではないかと島の空気が悪くなった時にも、本気を見せるために新しい体育館を立ててみたりとか、時代が石油に移り変わりつつあり、閉山になるのではないかと噂された時も、閉山しないと言ってくれたそうです。軍艦島は、島の人たちが自発的に閉山しようと言い出し、閉山が決まった稀な例で、かつ黒字で閉山した稀な炭坑だそうです。閉山後の職も三菱が見つけてくれたとのこと。事故があったり、過酷な労働状況だったりと大変だったと思いますが、それでもそこで働いていた方が感謝してるってすごいなあと思いました。

軍艦島


軍艦島に行くには:

長崎からツアーが沢山出ています。風や波などの安全基準が満たされない場合は上陸を許可されない場合もあるそうなので、要注意。

軍艦島コンシェルジュ:3,900円(私が利用したツアー会社さん)
やまさ海運:4,000円
高島海上交通:4,000円(軍艦島だけでなく、高島にも上陸できるらしい)
シーマン商会:3,900円(NPO法人軍艦島を世界遺産にする会」の方が同行するらしい)

軍艦島。軍艦島といえば。。。
軍艦っぽい軍艦巻で軍艦を作った「軍艦巻」が凄い 中村真由香

Disclaimer このブログは山崎富美の個人的なものです。ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はありません。