2012年2月24日金曜日

7月に行った東北の話。

釜石に行ったのは、2011年の7月だった。ご案内くださった岩切さんに、ブログを書いてくださいねと言われていたのだけれど、書こうと思えば思うほど書けなくなり、半年もたってしまった。いまだに苦しいけど、今書かないと一生書けなさそうなので、書くことにした。岩切さん、遅くなってごめんなさい。あと、一部 Google+ に書いた物を再掲します。前に見た人もごめんなさい。

7月に釜石や大槌、遠野などに行ったきっかけは、 7月23日と24日に開催した "Hack For Japan in 遠野"というイベントだった。東京から、想像しながら被災地の技術支援をするのではなく、現地に行って、現地のニーズを聞いて、現地の(テクノロジーに強いわけではない)人と一緒に必要な物を作ろう。釜石出身の岩切さんが声をかけてくださり、遠野まごころネットの当時副代表だった多田さんが協力してくださり、イベントが実現できた。

イベント開催の前日に、沿岸部を案内して頂いた。大槌はじめ、いくつかの街は、壊滅的だった。以前、街があったはずの場所が、3月には瓦礫の海になり、私が訪れた7月には、撤去された瓦礫の山と、街だったはずの、無人の土地が広がり、車が道路を通過していくのみ。何もなくなっていた。その無人の土地に草が生え始めていた。「草が生えてきて、野に返ってしまいそうで怖い」。

また、あまりに人もいなくて物もないので音がない。街だった場所なのに。

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野




村が、まるごと、なくなってしまっている。


現地では、たくさんの方にお話を伺った。

あの日、これらの街にはまずは地震が来て、津波が来て、火事が来て、雪や寒さがきた。沿岸部の人たちは地震が来たら津波がきて、火事が来ることをよく知っている。子供の頃から叩きこまれているし、抜き打ちで避難訓練もしているという。あの日も、地震が来たらみんな逃げた。堤防の海側で働いていた人たちは、避難場所であるはずの堤防の内側まで逃げた。今回の津波は大きい。そう判断した人たちは、いつもの避難場所ではなく、もっと上の山まで逃げた。リーダー達が判断して、街の人達を逃した。そうして、街は壊滅したけど人は助かった街もある。山がなくて逃げ場がない街もあった。

地震と津波が来て、 津波が飲み込む中にはガソリンスタンドもある。山から街を見下ろすと火災で街が赤くなり、あちこちで爆発が起きていた。火が収まっても街は数日間熱く、逃げ遅れた家族の遺体を探しにいけない人もいた。

逃げられた人も、3月の東北の寒さと雪を耐え、わずかなお米を数百人で分けあい、一口のおにぎりが行き渡る程度だったという。逃げた先の山の上の学校の、カーテンを外してわけあい、体をくっつけあって寒さをしのいだ。

町長や街の役員も命を落とした街は、指導者がいない。ガスも水も電気も通信も止まっている。避難所となった場所は、トイレは水洗できないのでどんどん汚れていき、人々が土足であがり、ルールがないまま人が増えていく。「これじゃダメだ」と思った人がリーダーを名乗りでてルールを作っていった。トイレは汚物に汚物を重ねては衛生状態が悪くなる一方なので、川から水をくんでくることしに、水汲みの当番を決めた。土足で上がっては避難所が汚れるばかりなので土足を禁止し、食事の手伝いを募集し、情報交換のための掲示板を作った。彼は元々は普通の町民。「余計なことをしゃしゃり出たのかもしれない」と謙遜しておっしゃったけれど、そういうリーダーが名乗りでてくれないとカオスになる。こういう人が日本にいてくれて、よかった、とお話を伺っていて思った。

遠野まごころネット副代表の多田さんは「リーダーは現れるものなんです」と語っていた。まごころネットの成り立ちもそうだった。遠野は津波にやられていなかったので、震災直後から沿岸部に食べ物を届けに出かけていたが、数日たつうちにこのままではダメだと周りに声をかけ、まごころネットの母体を作っていった。まごころネットがなかったら、ボランティアに来た人たちはどこに泊まればよかったのか。。。。ボランティアが必要なのは沿岸部だけれど、沿岸部には街も建物もなくなっているので泊まれないのだ。まごころネットを作ってくれた人たちがいてくれて、よかった、とお話を伺っていて思った。

HackForJapan遠野

本当は政府や自治体がやるべきことなのかもしれないけれど、すぐ動かないといけないので「瞬発力のあるリーダー」の存在が重要なんだなと思った。

今回の震災で、ITのパワーを知った人がとても多かったという。特にTwitter等を通じて「☓☓がほしいです」とつぶやくと、大量の物資が届いた。オムツが10年分ぐらい届いてしまったり、コントロールできない状態で大量の物資が送られてきた。

だったら、自治体とかがちゃんと需給をコントロールするとかした方がよかったんでしょうかと聞いたら、多田さんはそれではだめだという。災害直後は特に、瞬発力が必要で、☓☓がほしいと言った時にすぐ来てくれる方が重要で、在庫管理して来ないよりよっぽどよい。現場では余った物は足りていない隣の街におすそ分けに行くなどしてコントロールしていたそうだ。

「ネットには瞬発力がある」ということから多田さんたちが学んだのは、「なくなる寸前まで発信しない」。心配だからと早めにいっぱい頼んでも物資の置き場所はない。なくなる直前にTwitterを使って発信すると余るほど来る。余ったら他の街にあげたりもらったりすればいい。

多田さんのこのお話は、とある市役所の人も一緒に聞いていて、「多田さん、実は魚肉ソーセージがたくさんうちの市役所に届いたのですが捌ききれず、このままでは4,000本ほど賞味期限が来てしまうんです」と相談すると、多田さんは「すぐ持ってきてください。うちはあちこちに物資を届けに行っているので、4,000本ならすぐに配れます」とその場で解決していた。

たくさんの人が日本中、世界中からボランティアに来てくれて、沿岸部の方たちはとても感謝している。街中にお礼の張り紙が貼られていた。

Hack For Japan in 遠野

その上でお願いしたいのは、それぞれの一番の強みを活かしてほしいということだという。弁護士の先生が泥かきをしてくれるのもありがたいけれど、弁護士だとわかっていたら、法律相談をしたかった。法律関係で困っている人はたくさんいる。マッサージ師だとわかっていたら、マッサージを頼みたかった。ITエンジニアだとわかっていたら、ITで困っていることを手伝って欲しかった。皆さんが強みとしているところを教えてくれれば、頼みたいことはたくさんある。ぜひ強みをいかしてください、と多田さんはおっしゃっていた。

震災以来、沿岸部から人が離れて東京とかで仕事を探すみたいな話があるが、逆もある。

私が釜石でお会いしたある人は、子供時代を釜石で過ごしたのだけれど、関西や関東に移住し、オンラインゲーム会社でポータル開発などをしていた。でも、この震災を機に釜石に帰郷し、起業。震災を機に、津波に打たれた釜石に、奥さんを連れて帰って、この街をもっとよくするために新しい会社を作っていて、今登記中。「こんな大変なことになってしまったけれど、自分の故郷に何か貢献できることが嬉しいんです。」と語っておられた。彼は夫婦揃ってアイディアソンに参加してくれた。

もう一人お会いした女性も釜石出身なのだけれど、震災を機に、大手商社での仕事を辞めて、釜石に帰ってきた。

沿岸部に行って思うことは、「百聞は一見に如かず」。

まだ被災地に行っていない方は、実際に行って、見て、感じてほしい。トライポッドワークスの佐々木さんに、以前「時間がたったら被災地も変わってしまうので、はやく行かなければ意味がないのでは。」と聞いたら、「1ヶ月後には1ヶ月後の、4ヶ月後には4ヶ月後の問題があります。復興には時間がかかります。来れる時に来てください」と言われた。時期を失ったと思っている方、今からでも遅くないし、できることはたくさんあるので、是非現地に足を運んでみて下さい。

実際、7月に訪問した4ヶ月後には4ヶ月後の問題があった。

その一つが仮設住宅の問題。

Hack For Japan in 遠野

日本の仮設住宅自体は、すごい。訪れて、お話を伺っていたら、日本人でよかったなと思うほど、よくできている。大きなテレビ、クーラーなどすべて揃っている。入居時には冷蔵庫には牛乳とかも入ってて、お米も10kg用意されていたという。人数を伝えてあるので、人数分のお布団がちゃんと用意されている。ゴミ箱とかも。建築も驚くほど早く、釜石では2万人が避難所に入っていたのが、7月の時点で数百人まで減っており、1万9千数百人分の仮設住宅があっという間に建てられていた。

問題は、心のケア。避難所にはたくさんの人がいて、掲示板とかもあり、賑やかだったのだけれど、避難所を出て現在仮設住宅に移ると、途端に静かで孤独になる。避難所でアクティブに様々な問題解決をしておられたような方ですら、仮設住宅に入った途端に震災時の色々なことを思い出し、自責の念もあって眠れなくなってしまったという方もいた。

被災地に行く前は、心のケアは、静かな方、心の弱い方をケアするのに必要なのかなと思っていたが、多田さんいわく「もともと静かな方は元々静かなので、仮設住宅に入ってもそれほど変わらない。もともと元気でアクティブな方のほうが、ギャップでがっくり来てしまう。そういう方には元気になって頂くためにタスクを持ってもらう方がよい」とのこと。

仮設住宅は、一気に大量の住宅を急いで建てているので、場所は住宅で埋まっており、ラウンジみたいなスペースとか公園みたいな物を作るような場所が一切ないところが多いとのこと。なので、なかなか人との交流ができない。

仮設住宅に入る前に避難していた避難所では、iPadが大人気で行列ができていたほど。また、みんなでiPadでYouTubeの動画を一緒に見ていたとのこと。「パソコンは、ちょっと使えない。携帯は画面が小さくて文字が読めない。仮設住宅に入った今は携帯での通話とテレビが情報収集手段。携帯でのメールはやるけれど、字が小さい。地元の情報を手にしたいので、市役所のホームページをブックマークに入れているけれど、それ以外のホームページは見ない。検索もしない。文字が小さすぎる。パソコンは買う気はない。」

こんな背景から、Hack For Japan遠野会場では「仮設住宅ライフを楽しくする」というプロジェクトが提案されたのだった。携帯電話しか使えない方でも、メールは読めるのでメーリングリストで情報を回せるようにしよう。仮設ネットカフェを作って、そこにiPadやAndroidのタブレット端末を置いて、大きな画面で情報を入手できるようにしよう。そこで、コミュニケーションが始まって、人との交流ができるようにしたい。貸し出しもできて、ちょっと周りに人がいたらできないようなつぶやきをオンラインでできれば。自分の部屋からSkypeで、心のケアをできる方に心のつっかかりを吐き出せるようなそんな心のケアのサービスができれば。

私自身はその後釜石に足を運べていないものの、この仮設ネットカフェ企画は現地の皆さんによってその後も脈々と続いている。「Hack For Iwate ~仮設住宅でのネットカフェ設置に向けて~」や仮設ネットカフェに音楽スタジオを融合しようというアイディアも生まれた「Hack For Iwate 第3回アイデアソン」などのブログ記事をご参照いただきたい。

もう一つ、現地に行ってよく耳にしたのが「公共投資はすべてが無駄ってわけじゃない」という話。


まず、釜石の湾口防波堤。釜石はたしかにすごい被害を受けている反面、湾口防波堤に守られていた地域は一階はやられているけれど上の階は無事、などの場所があった。

"被災地発:一定の効果はあった釜石の湾口防波堤"の記事によると、湾口防波堤は1200億円以上の総事業費をかけて作られたもので、たしかに莫大なお金がかかっている。しかし釜石沖約20kmでの津波の高さは6.6mで、釜石には約13mの高さの津波が襲来すると推定されるところ、湾口防波堤があったので、7~9mに抑えられたという。釜石は、上にある写真の大槌とはダメージが違うことが写真からもわかると思う。



Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

とはいえ、釜石でも大きな被害が出ており、こうして船が道に突き刺さっている場所も。

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

Hack For Japan in 遠野

同じ釜石市でも、防波堤がないところは壊滅状態なところも。




もう一つが現地では「命の道」と言われている、三陸縦貫道。震災直前の3月5日に釜石―鵜住居間4.6kmが開通。街が津波にやられる中、 内陸の三陸縦貫道まで逃げた人たちは生き延びたという。また、国道45号線が寸断された中、救援物資の輸送や重症者の緊急輸送、ボランティアの交通路としても活躍。

"東日本大震災 三陸道の整備/復興を先導する「命の道」"


釜石市内の目抜き通りはすべてやられてしまっていたため、飲み屋さんがどこもオープンしていない中、唯一オープンしたのがこの養老乃瀧。「復興に向けた象徴なんです。ここから、みんなで復興していくんです」

Hack For Japan in 遠野

港を車で通りかかったら、大漁旗をつけた船が入港していた。みんなで車を降りて、大漁旗を見上げた。こうして一つ一つの復興の象徴を大切にしながら、復興に向けてみんながんばっていた。

Hack For Japan in 遠野

Disclaimerこのブログは山崎富美の個人的なものです。ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はありません。