2011年9月19日月曜日

遠野まごころネット 6ヶ月報告会に行ってきた

先日、遠野まごころネットの6ヶ月報告会に行ってきました。(遠野まごころネットとは、岩手県沿岸部のボランティアの拠点となっているところです。)

まごころネット6ヶ月報告会

大変多くの方がいらっしゃっており、関心の高さが伺えました。来場者数は 415 人だったそうです。

まごころネット6ヶ月報告会

まごころネットさん自身によるレポートと Togetter がアップされているので、それらからお借りしながらまとめます。

「これからが復興の正念場」その1その2その3その4その5
Togetterまとめ

●オープニング まごころネットの佐藤代表、いつものハンドマイクスタイルで登場。

まごころネット6ヶ月報告会

まごころネットの姿勢は、「No ではなく Yes を前提にまずやってみること。被災地支援に活動エリアや縄張り、競争はない。

。。。この後色々なお話を伺いますが、これはまごころネットの強さの核心だと思いました。

まごころネットでは個人ボランティアも受け入れる。」震災当時、殆どのボランティアセンターは個人のボランティアを受け入れていなかったのは、皆様ご存知の通りです。Noと言わないまごころネット。

「まごころネットでは毎日ミーティングを行い、どの団体も、プレスも、参加できる。」オープンに、みんなで被災者支援をやっていこうという姿勢で、このミーティングでは被災者のニーズ確認、活動報告、短期では解決できない問題の確認などを行っているそうです。

3月28日に開始した時には20人だったまごころネットは、5月には520人、8月には大学生がきて増え、今でも300人前後が活動中。のべ活動人数が 4 万人、遠野の人口 3 万人を超えているそうです。

14時46分、会を中断し、黙祷。

●まごころネット副代表の菊池さん。

震災後 3 日間は電気がなく、連絡がつかなかった。ネットがつながり次第、ネットで情報発信を開始したら、たくさんの物資が届くようになった。。。以前訪問した時も、被災地からネットで物資の依頼をする方法(たいてい届きすぎるので、タイミングの測り方が既にノウハウになっている)などを多田さんが語っておられたのが思い出されます。

17 日に会議を行い、28日にまごころネット設立。「最初から、復旧ではなく復興を見据えて活動をしていた」。例えば、届いた物資の供給/配送を行っていたが、そのときに一人一人の状況を確認し、家族の状況も調査票に書き込んでいた。そしてそれらの情報をもとに、復興時には、仕事に就いた人には物資を渡さず自立してもらう、必要な人達には物資の配給を続ける、という形に。

物資のセンターは行政と民間でシェアしていた」。。。多くの自治体で物流がうまく行っていなかったのになぜここはうまくいっているのかと思ったら、ここでも「垣根を越えるメソッド」で、動きのよいまごころネットが回すのを手伝っていたのですね。以前訪問したときも、ある沿岸部の市役所の方が「4万本の魚肉ソーセージが届いたのですが、配りきれずに賞味期限が切れてしまいそうなんですが。。。」と相談したら、すぐに「ウチなら毎日2000人ぐらいに物資を届けているから大丈夫、全部持ってきてください。」と一言。

被災者で「仕事をしたい」という思いを持っている人達がいるため、「遠野山里ネット」プロジェクトで起業支援をし、被災地での仕事作り(産地直売)をしています。

三陸は30年に一回は津波に襲われている地域で、遠野は今までも宿命的に後方支援の役割を果たしてきたそうです。明治29年の三陸大津波でも遠野には救援本部が立ち上げられ、あらゆる牛馬/車両を総動員して食料、生活物資を輸送した。その後も昭和8年の大津波、昭和35年の津波がきており、「これより先津波浸水想定区」と書いてある。住んでいる人達も、津波が来るのはわかった上で住んでいる。

まごころネット6ヶ月報告会


●さんま/がれき部隊の高宏隊長。

陸前高田では、まださんまの撤去は終わっておらず、あと1ヶ月ぐらいかかるが、終わるまでやる、と固い決意を語られました。「来年の報告会ではがれきや匂いがなくなった、うじ虫やハエとの闘いがなくなったという報告ができれば」とのこと。頑張ってください!!

●事務局・農援隊の斎藤さん。

4日からがれきの町を歩きまわったが、陸前高田は本当に何もなくて、大槌は空襲のあとのようだった。

がれきがあらかた片付いた時、村のお母さんたちから片付けが終わったところに花を植えようという話が出た。体を動かすこと、風景が変わること、自分の手で何かを変えられる、ということ。何かしないと心が折れてしまう。

表面上は瓦礫がなくなったように見えても、ひまわりの種をまく準備を始めたら土の中は瓦礫だらけ。土も、塩やさんまやがれきでおかしくなっているので、花が咲かないところもあるし、虫がわくところもある。東京ならばビルや道路ができれば復興かもしれないが、東北の人たちは第1次産業が中心なので自然や命に寄り添わないと食べていけない。命の復興は突貫工事ではできない。まだまだ片付けにしても種まきにしても人手がいる

多くのボランティアさんが来ているがそのうちの約3割はフリーターや、仕事をやめたり退職した人たち。ハローワークでも仕事がなくて、世の中に必要とされていると思えなくなっている人もいる。しかし、生き残ったおじいちゃんやおばあちゃんからありがとうと手を合わされると、人間としてよみがえる。アルバイトをしたり貯金を崩して、リピーターとして来る。そういう人たちが作っている長部は、本当のふるさとかもしれない。被災地が、人を育てている

コミュニティ活動について。仮設住宅はいずれ出なければならない。行政も立ち直って福祉サービスも少し始まったがやはり手が行き届かない。家族や隣近所などの助け合いの基盤がなくなると全く立ちいかない。土地の人たちが暮らすための既存の仕事や、土地の人たちの仕事の土台となる生態系や自然の全てを寄り添う形で取り戻していかなければならない。現地で早く立ち直った人が他の方のケアができるように寄り添えるように、まだまだ人手が必要。最近のテレビではそういうことは報道しないが、みなさんの力を貸して欲しい。

●被災地NGO協働センターの増島さん

下の写真にある「まけないゾウ」を被災地の人達が作り、一個400円で販売、作った人に一個100円入る。15分ぐらいで作れるので、月8万円の収入になった人も。

まごころネット6ヶ月報告会

被災者は、与えられるだけではなく、来てくれたボランティアの人に何か恩返しをしたいと思っている。そんなときに、この「まけないゾウ」をプレゼントしている。何かやりたい、できることがあるはず、と思っている被災者の人達はいる。

忘却が最大の敵

●JICAの三国さん

まごころネットのすごいところは、管理しなくても動くところ。事務局が管理をすると、事務局の能力が上限になってしまう。事務局が管理しなくてもみんなが動くし、凄い人が来たとしてその人がボランティアを終えて帰ってしまっても次にまた凄い人がやってくる。


これからは、「町づくり」が必要。大槌や陸前高田は、町も行政もなくなってしまった。行政は決まった物をやるのは得意だが、ゼロから作るのは得意ではない。町づくりはまごころネットみたいなところがやるべき。まごころネットにはたくさんの人脈が集まっている。

●まごころネット多田さん補足

まごころネットは管理しないとよく言われるけど、自己管理という最小で最大の管理をしている。そうやって成長している。そういう団体です。

●吉里吉里国・復活の薪の芳賀さん

皆さん、吉里吉里の「復活の薪」をご存知でしょうか?がれきの木を集めて避難所の方々に温かいお風呂に入ってもらおうという発想から生まれたプロジェクトで、ボランティアの中から「この薪を売ったらどうだろうか?」と話が出たことがきっかけで活動が始まったそうです。そんな復活の薪プロジェクトからのビデオレターです。



「避難所で何もしないでじっとしているよりは、自分たちで何とか自立したいと思って復活の薪を立ち上げた。津波で犠牲になった人たちに恥ずかしくない生き方をしたい。犠牲者に教えられた。そこからすべてが始まった。津波の前の三陸のきれいな海を復活させたい。そのため山に登って間伐をする。間伐をすると太陽の光が地表にふりそそぐ。「神は我を見捨てたもう、いや、神は我を創りたもう」。その言葉を私は一生忘れない。がれきの上に仁王立ちしようという力を私たちに与えてくれた。

「ボランティアの人たちは8月の炎天下での薪割りや廃材の運搬など何も不平不満を言わずにもくもくとやってくれる。そういうボランティアの人たちの後ろ姿によって我々被災者は海をつくろうとする力、山に登る勇気を与えられた。ボランティアという一人一人の神様が、笑顔が、今も私たちをつくり続けている。

●まごころ広場うすざわの臼澤さん

大槌駅近くの自宅で被災。とてつもなく大きくて長い揺れを感じた。まさかここまで津波は来ないと思っていたら自宅の2階まで泥水が押し寄せてきた。屋根に上ったら周りのものが何もかも流されている。助けてくれという悲鳴もあちこちで聞こえ、プロパンガスは爆発して燃えている。自分の家も300メートルぐらい流された。命からがら別の家に飛び移って逃げたが、そこに次の津波がやってきた。天井をやぶって逃げようとしたが、逃げられない。ところが、あごの部分まで水がきたところで水が止まった。偶然が重なり、神様に生かされた。3.11を境に自分の価値観が変わってしまった。

形のあるものよりも形のないもの。形のないものはいくらお金を出しても手に入らない。避難所では大切な家族を亡くした方がたくさんいて、昼間は笑っていても夜になると片隅で泣いている。精神的にもまいっている。そういう人たちを実際にたくさん見た。津波で一瞬のうちに全てを失くして、命だけが助かった、本当に生きるということを真剣に考えた。私は医者ではないが、苦しんでいる人たちに手をあてて苦しみを分かちあうことならできるのではないかと考えて、多田さんと相談して「まごころ広場」を5月2日にオープン。

まごころ広場はお茶やコーヒーをいつでも飲める場所。管理運営については地元の被災者の方々が中心となっていてボランティアはあくまで黒子。最初はみんな食べるだけ、見るだけだった。でも1ヶ月くらいしてから、被災者の人からやってもらうだけでは申し訳ないと手伝ってくれる人がでてきた。今では被災者自身が毎日手伝ってくれている。いつも誰かがいることで気軽に立ち寄れる。まごころ広場は午前10時から午後4時までだが、2ヵ月ほど前の夕方にある70代の女性が「臼澤さん、まだですか」と聞いてきた。被災者から「ここに来ると気持ちがリラックスできる」といわれてこれまでの疲れも吹き飛んだ。誰かがそこにいる、ずっと立ち続ける、気軽に立ち寄れることが大切なのだとその出来事で確信した。

まごころネット6ヶ月報告会

避難所から仮設住宅に移ると活動のやりかたも変わってくる。まごころ広場から仮設住宅の間をつなぐ、まごころの郷へ。また、最近は臼澤ガールズ(という地元の女性たち)が主体となって、仮設のニーズ調査や地域の交流の場を作ろうとしている。

まごころネット6ヶ月報告会


仮設入居者の現状の課題は以下の5つ。

1.被災地の雇用の場の消失
2. 仮設入居者の買物難民の増加
3. 仮設入居者の孤立化
4. コミュニティの崩壊
5. 農業・漁業者の困窮


被災者には様々な支えが必要。今後もまごころ広場の活動にご支援やご協力をお願いします。

●岩手県復興局生活再建課の鈴木さん

被災者支援資金の支給状況

まごころネット6ヶ月報告会

8月26日の時点で13,984戸の仮設が完成、県内では8月末でほぼ全ての避難所が閉鎖された。これからは仮設入居者の支援や見守りが重要になる。県内全体で101人の特別支援相談員を配置している。

まごころネット6ヶ月報告会

応急仮設住宅入居者支援イメージ

まごころネット6ヶ月報告会

今日で震災から6ヵ月。テレビや新聞では半年の節目で特集が組まれているようだが、普段はマスコミで取り上げられることも少なくなり、風化が進んでいるように思う。復興には時間が必要で、気持ちのケアなども必要。長期的・継続的な支援をお願いします。

●大槌町社会福祉協議会の川端さん

被災から6ヵ月間、自分の正直な気持ちとしては疲れた。長かった。苦しかったし、悲しいこともいっぱいあった。

今回の津波によって、大槌社協でも会長や事務局長、総務課長が亡くなられ、組織が脆弱に。3月22日に他県の社協や多田さんが応援に来てくれた。3月26日にボランティアセンターを立ち上げたが、カメラもパソコンもなくて記録も残せなかった。テント1つと携帯電話1つで活動を始めたが、最初はいったい何からやればいいのかわからなかった。呆然としていた。

ボランティアセンターを立ち上げた頃は何をしたらいいのかわからなくて、本当につらかった。メンバーに専門家はいない。でもまとまりがある。普通の人の力 が10だとしたら、自分たちは5や3かもしれないが、ひとつのものに向かってみんなで考えて動ける。まとまることで新たな力が生まれる。

困った時は何でもまごころネットに頼んでいる。お茶っ子隊や外出支援、物資の搬入などもその例だ。まごころネットは組織力が大きく継続的で、人や物やお金が集まる。瞬発性や対応力もすぐれていて何でもNOと言わない姿勢なのでとても安心して頼める

まごころネット6ヶ月報告会

次世代の子供たちのために。1000年先に、幸せになれるように。たくさんの人たちに支えられて助けてもらったおかげで今まで続けることができた。

●まごころネット副代表の多田さん

3月13日に初めて大槌町に入って、大槌町の災害対策本部で見た地図がこれだった。紙はにじんでぐちゃぐちゃ、どこに何があるのかも全然わからない。でも紙の地図はこれしかなかった。

まごころネット6ヶ月報告会

それから毎日あちこちを走り回って情報を集めた。まず、地図を作ろうと。地図が出来上がったのが3月16日。16日に初めて災害対策本部にこの地図を拡大して、きれいに情報を記入して届けた。3月13日の、この「地図作りを始めなければ」と思った時が、多田さんにとっての遠野まごころネットの始まり。

まごころネットの活動の基本は被災者と被災地のために、今必要なこと、今できることを実行する。
そして、将来の生活や地域づくり、きっかけづくりのサポーターとなること。

まごころネット6ヶ月報告会

下記の5つの活動をサポート体制として考えている。

1. 基本的復旧サポート・・・がれき撤去、支援物資
2. 個人サポート・・・生活支援センター、弱者救済
3. 地域サポート・・・地域支援センター
4. 起業サポート・・・雇用創出、まごころ弁当
5. 検証サポート・・・津波・災害研究センター

まごころネット6ヶ月報告会


地域支援センターの例:「大槌ハーブの郷」構想は、川のほとりにハーブの公園があって、釣りをしたり、ボートに乗ったり、泳いだりしながらハーブ園を育て、お母さんたちはハーブを商品化。地元の自治会長さんに先頭に立って頂いて、仮設住宅から被災者の方に外に出てきてもらって、みんなで作ろうというもの。今は、草刈りなどそのための準備を進めている。

上長部まごころの郷」:陸前高田市の上長部地区で津波の被害が甚大だったため腐乱したサンマで大変な状況だった場所。ここで何とかがれきやサンマを撤去して、ひまわりを植えて、野菜の種を植えて、グランドやコミュニティホールを造ろうという構想。ここはがれき撤去からコミュニティづくり、復耕まで住民の方々と一緒に協力しながら理想的な形で作業が進んでいる。将来的にボランティアは姿を消して、かわりにボランティアだった人が毎年ここを訪れる。他の市町村と地域の交流の場となって、農業体験宿泊等もできればこの地域は良くなるのではないかと期待している。

まごころネット6ヶ月報告会

起業サポート:今度遠野駅前と大槌に「まごころ弁当」を出店する。被災者の方々に運営をしていただくことで雇用を創出する。現在、大槌社協の川端さんが「鮭プロジェクト」に取り組んでいるので、やはり最初は「鮭弁当」にこだわっていきたいと思う。通信販売なども検討しており、みなさんもぜひ遠野や大槌にいらした際には「鮭弁当」を食べて頂きたい。

まごころネット6ヶ月報告会

あと必要なのは、個人的なサポート、弱者の救済。 被災地ではまだ誰もが目を疑うような風景があり、信じられない状況が続いている。もちろん、復興の兆しも随所に見られるが、多くの人はまだ記憶や心の整理ができていないのが現実。はたして記憶の整理と心の整理はできるのだろうかと思うことすらあり、できないかもしれない。記憶を確認するのが精一杯かもしれない。記憶を整理して心を整理することはそう簡単にできることではない。頼る人もいなくなった。何かを考えても必ず同じところで思考が停止して、毎日がその繰り返しという人も多い。我々にできるのは一歩先に気持ちを進めてもらうお手伝い。これしか私たちはできないのではないかと思う。土を耕しながら、お茶を飲みながら、何かを作りながら、人が人を支える。みんなで少しだけ前に進む。そんなきっかけを作るために我々は5つの体制に分かれた事業をしているのかもしれない。

今、自立ということについてもう一度考えなければならない。みなさんは仮設住宅に入居したイコール自立したとみなし、支援等を打ち切るという話を聞いたことがあると思う。実際にそのような場合もある。しかし、自立とはどういう状態をいうのか。自立のための要素とはいったい何なのか。私は「衣・食・住・業(つまりお金)、そして自立する心」によってできると考えている。もちろん、全ての要素が揃わなければ自立といえないとは限らないが、そのうちのいくつかの要素があったほうがいい。「住」があればイコール自立とみなすことはできないだろう。記憶と心の整理は難しい。記憶の確認さえもできない人が多い。まだまだ自立のためにはたくさんの支援を必要としている。それが実態だ。

まごころネットが何のために事業を進めているのか、何度も考えることがある。被災地のなるべく多くの人が何かの事業に参加して、率先して一緒に運営に携わることで物事に集中し、少しでも気持ちを前に進めて生活ができるように、その手がかりや足がかりとなるよう、将来の起業や雇用の創出につながる可能性を信じてメニューを作っているにすぎない。

精神面や生活面で被災者や被災地のためにどの程度お役に立てているのかは、私たちには想像するよりほかはない。私たちは自己の名声のために活動をしているわけではない。その点を大切にしていくことがきっと被災地・被災者の方にとって良い活動となるのではないかと思う。今、本当に必要なことは、行政や社協、企業、関係機関、NPOなどが協力して体制を作っていくことだ。関係を大切にして支援活動を進めていくこと。官と民の境界や垣根、壁は限りなく無に近い方がよいと思う。そして時にはその境界は移動できるほうがいい。岩手県の行政は本当に今回の震災で重いダメージを受けている。そのなかで復旧や復興活動に全力を挙げている。状況を見ながら相互が歩み寄って協力していけば良い結果が出るのではないか。我々のモットーは「批判ではなく提案」だ。お互いにできる限りの協力をして一緒に活動していきたい。できることをできる団体が必要な時にやる。そしてそれを円滑に進められるようにみんなでバックアップする、そのような気持ちを持つことが大切だ。

まごころネットの力は小さくて弱いと思う。生活弱者の救済活動では本当にそのことを痛感している。現在、まごころネットの生活支援隊は大槌町で弱者救済班として見守り隊や生活支援の活動をさせて頂いている。活動の特性を考えると行政や社協などと一緒に協力してまごころネットとは別の組織となる新たな体制をつくって、みんなでケアしていかないと24時間体制でのケア活動は難しい。そして、大槌町以外の市町村でもなるべく早くそういう体制づくりをしていかなければならないと思う。

遠野まごころネットは5つのサポート活動とその担うべき役割をしっかりと念頭に置いて、今後も各関係機関、団体と協力して、みなさんの意見や提案を真摯に聞きながら活動を進めていきたい。今後ともよろしくお願いします。

参考資料:遠野まごころネットの今後のビジョン(PDF)

臼澤さんが今回東京にいらっしゃって感じたこと:
大槌から遠野に来ると戦場から平和な町に、花巻に来ると311前の通常の町、そして東京の広尾に来るとここは本当に同じ国なのだろうかと思う。3.11は日本の歴史から消え去ってしまったのかとすら思う。被災者がもっとこれから情報を発信していかなければならない」。

質疑応答:

Q:風化について。

斉藤さん「自分たちですら、現地に3週間行かないと、現地の空気が分からなくなる。感度が落ちていく。これが風化の原因ではないか。」

「政治家を動かすことも必要なのでは?」

多田さん「まごころネットは差別しない。政治家やマスコミも多く来るが、全員体育館で寝る。」

「ボランティア送迎バスをやっている。今でも満員御礼。表面上は感心が薄れていても、感心をもっている人はたくさんいる。そういうひとをうまくサポートできるといい。あとは企業のサポートも掘り出すこと」

Q:
行政が強い力を出さなければならない。行政のサポートについてどう感じてますか?行政の動きの遅さにイライラしませんか?

多田さん「行政に民の意識をもてとよく言われるが、民に官の意識を持てと言ってもよいのでは行政がやるべきというのは責任転嫁で、それでは物事が解決しない出来る人が出来る時に出来ることをやる

大関さん「支援を続ける中で行政は絶対にはずせない。ボランティアは最後には去っていく身。どうやって行政にソフトランディングさせていくかが大きなテーマになる。行政と民間で言葉が違うという問題もあるが。」

鈴木さん「言い訳になるが、今回は行革で無駄を削減してきたことが裏目に出た部分もある。何をやらなければいけないかという考えは常にある。縦割りの問題などで歯がゆい思いも感じている。」

「官僚の人も、一人一人はやりたいと思っているが行政の壁で出来ないこともある。県ができること、国ができること、自治体ができることが異なるのだが、知らない民の人は同じ行政じゃないかと思って持ち込むけれど、できないことはある」

鈴木さん「教訓として感じているのは、これだけの規模になったら、やってしまえばあとから許される部分もあるということ。それから、ひとつのセクターだけで解決できる社会ではないので、いろんなところと連携しないといけないというのも実感している。」

臼澤さん「NPOも第三の公共になった方がいいと、今回感じた。官が責任を取る姿勢もとらないといけない。支援だけでは成り立たない部分もある。」

多田さん「見るだけでも来て欲しい。今見てもらうことが大事」

Q:
子どもたちの未来について、何ができるか?

川端さん「何が出来るかはわからないが、子どもたちに出ていって欲しくない。大槌町が誇りのある街にしたい。そのために今できることをやっていかなければならない」

斉藤さん「国からの支援で土建屋さんに予算が付いている事業がある。そこから漏れた仕事でボランティアを要請したいという話がきたが、お断りしたしたことがある。ボランティアはタダ働きの集団ではない。復興のパートナーとしてみてもらわないと。予算がついた仕事は事業としてやるべき。」

多田さん「岩手県の復興はいい方向に向かうというベクトルに向けて協力体制をもち、批判ではなく提案をしよう。」

多田さん「官には縦割りがある。NPOには縄張りがある。NPOは成果に応じてお金がくるので、どうしても縄張りができてしまう。まごころネットでは縄張りをなくそう/枠を超えよう/壁を取り払おうとしている。復旧/復興のエキスパートというのはなかなかいるものではない。だからこそ、壁を取り払ってみんなでやる。」

多田さん「遠野では、月に2回後方連携で行政とミーティングをしている。沿岸部もボランティアと行政でもっと密にミーティングを持てばいい。口だけの「連携」は難しい。やはり足を運ばないと。。。」


Q:ボランティアが住民の自立を妨げているという論調もある。我々はどこまで踏み込んでいけばいいのか。どこまで関与していけばいいか?

多田さん「テレビを始めとするマスコミのせいで自立がしにくくなるということもある。テレビの人は、ストーリーを作ってきて、取材内容をそこに合わせようとする。そうではなくて、現場を見て、何が起きているのか、何が必要なのかを取材した上で報道してほしい。それは恐らく、用意してきたストーリーとはずれる。ボランティアと共存は両立できると思っている。勝手に進めるのではなく、被災者と一緒になってやっていくことが大事。

臼澤さん「被災者どうしでも温度差がある。私たちは仮設住宅のニーズをちゃんと把握して、力のある人は自立を、サポートを必要としている人にはサポートを、細かなケアが必要。」

斎藤さん「気を抜くと進駐軍になる恐れはある。与えすぎる。そうならないように、我々は去っていく身であることを意識するように、行く部隊にお願いしている。」

岩切さん「まごころネットが『来て欲しい』と言い続ける限り、我々はそれを信じるしかない。逆に、まごころネットにはそこに責任をもっていただきたい」

自立への道筋について。野菜を最初は個別包装をして渡していた。今は、仮設住宅に入って余裕があるはずなので、段ボールのまま渡して、おばちゃんたちに仕分けをしてもらっている。甘えさせない、自立してもらう、更にみんなで一緒に仕分けをすることで新しいコミュニティになっていく。

物資を配送しながら家族の状況をチェックしている。自立できそうだと思ったら、物資配送をやめていく。そして今は購入してもらうようになってきた。ただし高齢者とか仕事がない人など、支援が必要な人にはまだ物資を配送している。だが、どんどん減らしていく。

多田さん「1対1でサポートする。「被災者」という人はいない。一人一人を見ていかないといけない
物資をいつ止めるか。弱者支援をどうするか。相反する部分もあって難しい。同じ土俵で考えると難しいが、難しいままで、臨機応変にやっていくしかない。ベクトルは同じ。必ず協力していい支援ができる。」

多田さん「我々が早くいなくなれるように頑張る。今はまだ無理。今はまだいなくなれない。知らない間に仮設に入ってぼーっとしている人がいる。声がない声を聞かないといけない。皆さんがいたからやって来れた。でもまだまだなんです。これからなんです。人っていいですよね。まだ世の中捨てたもんじゃない。だからきっとできると思います。ありがとうございました。

Disclaimerこのブログは山崎富美の個人的なものです。ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はありません。